本文へジャンプ

研究室より

カテゴリー:学生レポート

120516

桜の通り抜け

4月21日初めてのインターシップで造幣局の桜の通り抜けに行きました。

null null null

造幣局の桜を見て

「桜には何種類もある!!」と感動しました。 濃い桜もあれば薄い桜もあり、ぼんぼりのような桜もありました。 そして、渋い桜、緑の桜などがありました。 どの桜も綺麗で美しいと思いました。

桜を見に来ている人を観察

朝だからなのだろう。 おじいさん、おばあさんが多かったです。 だけど、土曜日だったのか子どもたちも何人か見た気がします! 桜は素敵なモノなのに、若い人は見ない人たち多いのかな?と思いました。 今回、インターシップで訪れた時、本当にいい場所だと思った。 今度は誰かを連れて見に行きたい場所です。

桜を見に来ている外国人を観察

アジアの人々が多いな!と思った。 桜は、やっぱり『日本の文化』なんだと強く感じました。 日本の人々は桜を写している人が多かったけれど、外国人の人々は、自分と桜とを写していることに気付きました。

造幣局の桜の通り抜けの歴史

明治16年(1883年)に「局員だけで花見をするのはもったいない。大阪市民と共に楽しもう.」ということで始まった。 造幣局の桜の通り抜けは、人々を楽しませることであって。お金のためなんかじゃないことが分かりました。 そのようなことがあり、今では日本だけでなく海外にまで桜の文化が流通している。

このページの先頭へ

120516

落語体験

米團冶さんは凄かった。いきなりこんなことを言っても意味が分からないと思うが、凄かった。先日、私たちは落語体験をするために道楽亭へと向かった。そこで出てきたのが米團冶さんである。私は最初「落語なんて若者が聞いてもおもしろくないだろう」と思っていた。あくまで私のイメージではあるが老人が好んで聞くようなものと思っていた。私のそんな気持ちを余所に拍手が鳴り響く中、米團冶さんは静かに座り話を始めた。先に言った通り初めての上方落語であるから、何も自分は知らないし分からない。そんな自分でも始まって少ししてから思えた。上方落語は凄い。誰もが「落語は1人で喋る」というのは知っているはずだ。ところがどうだろう、気づけば3人も4人も喋っているような気がした。目線と声そして表情を変えるだけ、ただそれだけなのに全く違う人に見えてくる。またその切り替えがとてもうまい。本当に何人もの人が喋りあっているように見えてくるのだ。これは実際に見た人にしか分からないと思うが、本当に1人とは思えないのだ!つい力説してしまうこの気持ちを実際に上方落語を見て味わって欲しい。話がそれてしまった。そんな米團冶さんにはもう一つ、凄いと思えることがあった。それは「動き」である。「落語って座って喋るんじゃないの?」と思うことであろう。いや実際には座って喋っている。しかしその上半身、座っている足以外の部分をフルに動かすのである。例えば歩くことを演じるとしよう。歩くというのは足を使う行為、それを足を使わずに演じる。どうやるのか?すると米團冶さんは腕を大きく振り、そして体をリズミカルに左右に振るそぶりを見せた。ただそれだけ、のはずだった。見えてくるのだ。まるで本当に歩いているようにまた錯覚が起きてくるのだ。気づいたころには落語じゃなく一つの演劇を見ているような気分になっていた。たくさんの人がいて、ボケてツッコんでの繰り返し。今でいう「新喜劇」のようなものだろうか。しかしよく見ると喋っているのは1人なのである。気分はまさしく「夢見心地」である。喋っている間は夢の中で演劇を見て、落語が終われば夢から覚める。上方漫才とはまさに「夢」を見る場所だなと思えた。話の内容は言うまでもなくおもしろく、話し方も聞き取りやすく進んでいく。改めて思った。上方漫才は凄い、と。落語が終わり自分は夢から覚めた。自分は夢を見ることができた。そして自分の席の前には終始夢を見ていた女性がいた。

このページの先頭へ

120516

造幣局桜の「通り抜け」

null null null

造幣局桜の「通り抜け」。初めて行く場所で一番最初に驚いたのは、人の多さ。あっちこっち辺りを見れば、人・人・人。人の波にのまれそうでしたが、そうも言ってられない。今回の目的は遊びではない。「学び」だ。

私は気合を入れなおし、人と人の間を通り抜けながら、見事に咲く桜を見る。そこには地元にはない桜がたくさんあった。よく見ると一般的な桜とは違い、ぼんぼりのような薄紅色の桜や、薄緑色に輝いてるかのような桜があった。どの桜も本当に美しかった。

造幣局には桜だけではなく、金属工芸品販売所や貨幣セット販売所があった。そこにも人がたくさん集まっていたので、桜を見に来た記念にでも買うのだろうと思っていたが、売られている「桜の通り抜けメダル(金)」をみて驚いた。目が「点」になった・・・なんと623,000円!!しかしこのメダルを売るために、お金儲けをするためにこのイベントがあるわけではないと知った。

今回の造幣局桜の「通り抜け」を体験した私は、驚くことや学んだ事がたくさんあった。大阪に住んでいながら、こんなに美しい桜があるなんて知らなかったし、造幣局という建物があることは知っていたが、昔から現代まで築いてきたものがなんなのか知らなかった。

もっと社会のことに目を向けて、一体どうやってここまで築いてきたのか、少しでも興味を持ってみる。知らないことがあるなら、追及して自ら調べてみる。「社会」に対してもっと関心を持つべきだと、私は感じました。

このページの先頭へ

120516

造幣局桜の通り抜け

桜の通り抜け1 桜の通り抜け2 桜の通り抜け3

4月23日、天満橋駅の近くにある造幣局桜の通り抜けへいった。初めてあんなに癒された。

その桜の通り抜けには、345本、129種類の桜が植えてあった。並ぶ桜に「すごい!」としか口に出せなかった。口があいて、目が点になっていたと思う。

1本1本植えてある桜を見ていった。私は、こんなにたくさんの桜を見たことがなかった。初めは、桜を見たら何か思うのかな、と思っていたけど見に行くと、やっぱりきれいだな、心のもやもやが消えていくような、見に行かないとあじわえないものをあじわえた。久方ぶりにいい気分になれた。

桜はずらーっと2列にならんでいて何を考えながら毎日送っているのか。私たちと同じように、笑ったり、泣いたり、怒ったりするのか。私たちが行った時、雨だと予想されていたけれど、外は晴天だった。桜は「私をみて! いつもより可愛いでしょ」って微笑みながら、私に話しかけてくるようなキラキラと輝いているように見えた気がした。

この日は約14万人以上の人が桜を見に来ていた。こんなにも多くの人が楽しみに1年間待って見に来てるのかな。と思った。特におじいちゃん、おばあちゃんがとても多かったような気がする。たくさんの方が、何かを求めて、桜を見にきていたのだと思う。私も年をとったらのんびり桜を見に行って、「昔みにきたな。やっぱ癒される。」と思い返して懐かしさに浸り、うきうきとした気持ちになって、さらに一段と若返った気分になって帰りたいと思った。

でも桜がきれいに咲いている時間はそう長くはない。桜の蕾ができてから2週間くらいで散っていく。そんな限られたなかで、毎日を送っていっている桜は。すばらしいことだと思う。これを私たち人間は1年に1回どきどきしながらまっている。桜の通り抜けをするのは決して得ではないけど、なにかがあるからやっていることだと思う。それは、人の心のどこかに残っていてほしい。ものなのかもしれない。

このページの先頭へ

120516

桜の通り抜け1 桜の通り抜け2 桜の通り抜け3

4月23日(土)天満へ造幣局の桜の通り抜けを見に行った。天満橋を歩く人はみんな造幣局の桜を見に歩いている人ですごい数だ。反対にある天神橋は、造幣局の桜の桜を見るために来た人を乗せたバスがたくさん走っていた。

なんでここまでの人が桜を見に来るのか。去年は3月11日震災があったこともあってこの季節桜を見に行ったり、観光をするのを控えていた人も、今年は観光しようと出かけている人が多いからだと私は思った。おじいちゃんやおばあちゃんは、この桜と自分の命を重ねてあと何回この桜を見られるだろうとかを思いながら桜を見に来ているのだと思った。風で散っていく桜の花びらを自分に重ねているのは、少し悲しい感じもした。

小さい子供達もいっぱい来ていて普通こんなにいっぱいの人がいたら泣いてしまう子やダダこねてしまう子もいると思っていたけどそういう子はおらずみんな笑っていた。

造幣局の人は無料でこの桜の通り抜けを開いて得はないけど、そこの場所に名物になるものを開いたりしてその地域を活気づいているのだと思った。私はこの桜の通り抜けに見に行って、この季節桜の咲く頃になると桜を見にたくさんの人が来て1つの名物を見に電車に乗ったりバスや飛行機を利用したりして、結果色々なところを活気づけているということを学んだ。

このページの先頭へ

111221

null

 先日、神戸にあるフラワーパークという所に、クリスマスイルミネーションを見に行ってきた。パーク内を見て回っていると「小ホールで入場料無料の猿のショーを開催しまーす」というアナウンスが聞こえてきた。その言葉に吊られるように多くの人がホールに足を運んでいく。

 満員の会場内。無料という言葉にはみんな弱いんだなと思っている内に猿のショーが始まった。猿のユンボ君は、私の想像をはるかに超えるような芸で観客を喜ばせる。フィナーレを成功させ会場は拍手喝采。

 満足し帰ろうと歩いていると出口の前にユンボ君とトレーナーのお姉さんがカゴを持って立っている。みんながお金を入れていっている。「気持ちだけでいいので~」とお姉さんが冗談交じりに言っている。この雰囲気でお金を入れずに出口から出て行く方が難しいじゃないか!下手に入場料を取ってショーを開催するより儲かるやろなぁ~。でも私はそれには乗らないぞ!と思いながらも、出口でカゴに“大玉”を入れた私だった。

このページの先頭へ

111221

妄想

null

クリスマスは世界中の人達がこの日を楽しみにしている。そんな中、子供達以外の大人やカップルはプレゼントに悩まされる時期でもある。私もその一人であり、何を買うか考えていた。

ショッピングモールでただただウロウロしていると、目の前にいかにも買ってほしそうな勢いでぬいぐるみが棚から飛び出していた。その時、私には聞こえたような気がした。「はやく買ってくれー」っと。いつから置いていたのかわからないが、値段を確認すると、上からセールと貼られていた。目も見るとなんだか泣いているようにも感じてき、買ってあげたくなったが、私はスルーしてもう一度見に行くと、今度は怒っているかのような目つきになっていた。この時思った。「夢に出てくる」と。私は怖くなり早足で帰った。もしこのぬいぐるみが動いたら全力で走っても捕まっていただろう。

このページの先頭へ

111221

ジャンボお好み焼きの悪夢

null

これがジャンボお好み!!ちなみにマヨネーズ・鰹節・青海苔は自分でかけました。

先日、お好み屋さんに行って来た。私は、焼きそばと、豚イカ玉を頼んだ。その時、父が「ジャンボサイズにしてくれる?」と言った。このお好み屋さんは、サイズがいろいろ選べる。ところがその一言が悪夢の始まりだった。

「お待たせしました―。」と持ってきたお好み焼きは、直径約40cmあって父の顔より大きかった。父と私は唖然…。その前に焼きそばも食べていたのでこのダイナミックな大きさに圧倒されてしまった。

食べ始めたのだが、なくならない。父も必死で食べるが食べきれる気配がなく、最終お持ち帰りを頼んだ。帰りの車にもお好み焼きの匂いが充満して吐き気が襲う。

家に帰り、弟に「お土産だよ」なんて言って渡すと、「ラッキー」なんて言いながら食べていた。私たちの食べ残したお好み焼きが弟には、ちょうどいい大きさだったのか、ペロッと食べきっていた。

しかし、家の中もお好み焼きの匂いが充満していて、ここでも吐き気が襲った。当分、お好み焼きはいらないと思った一日だった。

このページの先頭へ

111214

水族館に行ったよ

null

先日、名古屋港水族館に行ってきた。水族館には、イルカショーやえさやりなどのイベントや、ヒトデやウニを手で触れるコーナーなどがあって観光客が楽しめるスポットだ。時間がたつのを忘れて遊べるところだと思う。

私は、とても水族館が好きだ。カップルでも家族連れでも一人でも、楽しめる所だと思う。生物を間じかに見て、人それぞれ感じるものが違うので、話題性にもいい。水族館に行くと、子供のような気持ちになるのが、人気の一つのような感じがする。ちょっと入場料がお高いのだが…。料金以上の楽しみがあるのは確かだろう。

このページの先頭へ

111214

null

 先日、なにげなく車に乗っていると私の前に目を疑う光景が入ってきた。なんとバイクの後ろに溢れんばかりの缶を乗せて走っているのだ。バイクに乗せていい荷物の積載量的に大丈夫なのか?と思いながらも運転手のバランスの良さに感動を覚えた。一袋ならまだしも三袋とはあっぱれ!どのようにして乗せているかなどは一切不明。大阪市内ではよくリアカーに缶を乗せているのは目にするが、バイクは初めて。最近リサイクルやエコが重要視されているが、まさにこれこそエコカー?だがバイクの廃棄ガスでプラスマイナスゼロだな。と心の中で突っ込んだ。

このページの先頭へ

| Next»

[研究室より]menu

カテゴリー
観光学の現場から
学生レポート
テクテクちよだ
学生からおしらせ
最新のエントリー

最新5件:

過去のエントリー
担当教員
写真:李有師
李有師 准教授
り・ゆうじ/1982年、27歳の時に滋賀県の比良山麓でペンションを開業する。その経営のなかで「地域観光の視点」の重要性に着眼し、86年より「暮らしと観光の並立」というコンセプトを掲げつつ、まちづくりプランナーとして活動。また94年からは同時に大阪都心で「街角のペンション」を開業、「暮らしのなかにある観光」の実証実験を続けている。

このページの先頭へ